ないものねだり

自由がないと、何もかもやめてしまいたくなるし

何もすることがないと、何かをしたくなる。

 

お金がない、自由がない、パートナーがいない

 

全てを持っていて、自分の人生に100%満足している人は

どれくらいいるのだろうか。

 

自分がある人の生活を羨ましがっていると同時に

その人も誰かの生活を羨ましがっているかもしれない。

 

結局みんな自分の人生に何かしらの不満を持っていて

その不満を完全に打ち消すことはできないのではないか。

 

不満を無くすため行動したことによって

新たな不満が生まれ、結局前の方がよかったのではないかと思うこともある。

 

自分が何をすれば幸せかなんてわかるはずもなく

もしかしたら今が人生で一番幸せな時期かもしれないし、

一番不幸な時期かもしれない。

 

平凡な暮らしが一番だと思っていても

これから何十年もその生活を続けると考えると

やはりどこかで変化を求めてしまうだろう。

 

 

今求めている生活が叶ったとして

どれだけその生活に満足していられるだろうか。

 

そう考えると理想というものは果てしなく、

理想を追い求めることで力を発揮できる人もいれば

果てしない道のりに絶望してしまう人もいる。

 

他人の生活が幸せそうに見えるからといって

必ずしもその人が幸せであるとは限らないし、

自分が同じような生活をしてどう感じるかもまた別である。

 

それでもやはり自分の人生に納得がいかないのであれば

それは行動を起こすしかない。

 

しかし、もし人にこう言われたからだとか

他の人の生活がうらやましいからとかいう理由なのであれば

一度自分自身はどうなのかを考えてみるのが良いと感じる。

 

人の考える理想が必ずしも自分の理想と同じであるとは限らないのだから。

 

 

人と関わることが嫌い

人が怖い、けれども人と関わることは避けて通れない。

人の評価を気にして、他人と自分を比較し、自信を失う。

 

そんな自分に少しでも自信をつけ、少しでも生きやすい人生にしたい。

同じ心情の人を見つけ、自分だけではないと安心したい。

自分がこれまで辛い道を避けてきたことが、ただの逃げではなかったと感じたい。

 

生きるか死ぬか。

どんなにつらい事があっても、死ぬよりかはましだ。

と思う人もいれば、死んだ方がましだと思う人もいる。

 

死にたいと口にすることも、自分を傷つける前に辞めてしまうことも

自分を守るためには必要なことだと感じる。

自分を傷つけてから、死んでしまってから気づくのは遅すぎることだから。

 

けれども自分を傷つける前に辞めてしまうと、

自分は根性がない、みんなはもっと頑張っている。

そう感じ、自己嫌悪に陥る。

 

何をもって自己嫌悪に陥るかと考えれば、

やはりそれは周囲の評価であったり、他人との比較であると感じる。

 

しかし、みながみな100%同じなんてことはあり得るわけなく、

何ができて、何ができない

どこまで頑張れて、どこが限界か

なんて自分以外の誰もわかるはずがない。

 

人が人の限界を知る時は、その人の身に明らかな変化が起こった時のみである。

つまり、人に限界を悟られた時には手遅れなのだと感じる。

 

人は他人の限界を知る前に、その人が諦め始めると

もう少し頑張れる、諦めるのが早い

と思うかもしれないが、自身が限界だと感じたその時が限界なのだ。

 

それは逃げでも諦めでもなく、ただの自己防衛なのだから

自分の限界を知れるのは自分しかいないのだから

たとえ中途半端になってしまっても、自分を責める必要は全くない。

そう私は考えている。